ライフラフトの中に収納されている火薬類。 | ||
シーボニアのプールでのテスト。 | ||
スタートの日。天気快晴。油壺は周囲を小高い山で完全に囲まれており風が無いように見えるが、湾外は未だ20ノット近くの風が吹いている。前の晩は30ノットを超える風が吹き荒れおり、多分全員が相当厳しい出発になる予想していたと思う。 | ||
GUAM島のアプラハーバーに入港した直後です。1999年12月28日に三崎沖をスタートして9日目の1月5日午後にフィニッシュでした。 当初の予定では1月の2日か3日に到着して、二三日は休養して5日の帰国予定でしたのが、翌朝の一番機で日本に立ちました。それでも会社の仕事始め式には出席できず、僕の2000年の会社生活は遅刻で幕開けとなりました。 |
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アプラハーバーにある「グゥアム・ヨットラブ」のクラブハウスでの到着申告。 中央の人は葉山マリーナの「DALTON」の榛さん。このレースのアンパイヤを勤め、態々日本から来て、フィッニッシュまで待機していてくれた。 |
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左は「FLAMINGO」の艇長の岡村欽一氏。 藤枝への転勤後、仕事の関係で知り合いになった方の義理の父上。 日本ヨット界の草分けな方だそうだ。息子さんの邦弘さんも最近、太平洋の単独横断をし、現在、次の艇を建造中。親子2代のヨット家族。 岡村艇長はグゥアム到着後、艇を石垣島に回航、一旦日本に帰国してポリープの摘出手術を受け、2000年5月連休に開催された「沖縄レース」にエントリーして、清水港の「市民マリーナ」に艇と共に無事帰還した。 |
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仲間です。 左上より時計回りに 加藤慎二。通称カトシン。ロッククライマーです。その後2001年の鳥羽レースのダブルハンドクラスに組んで出場しました。 岡村邦弘。岡村艇長の息子。太平洋単独横断の経歴を持つ外洋セイラー。 藤巻潮。会社を辞めてこのレースに参加しました。お父上が大の海好きで潮の名前がついたそうです。レース中全食事に腕を振るい、レース中の食生活は毎回楽しみでした。 松永格。外洋セイラー。松永香さんの兄さん。 |
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ゴールした晩のコックピットでのパーティー。全メンバーである。このうち山本ともう1名は翌6日の朝の一便で帰国。グゥアム観光の暇など全くなかった。 1月6日は山本が勤める会社の仕事始め式の日。成田に付き藤枝に直行し辛うじて午後に出社出来たが、それから当分の間、「2000年問題の年末年始にヨットレースに出ていて、仕事始め式に遅刻したスポーツマン」と言われることになる。 |
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我々が到着したその晩に「雛野」が入港した。FLAMINGOはゴール出来たが、雛野は乗員のタイムリミットがあったためリタイアした。後、数時間の我慢で貿易風帯に入れたと思われる。悔しい思いをしたことだろう。 | ||